想念と主人公 ~自己観察のための瞑想~
この記事は2018年9月11日、12:29に更新しました。
更新内容:最終行の文章に加筆をしました。
そうでなければ、来たるべき最も大切な、聖なるものへの明け渡しの時期に、「しまった! 気がついたら想念に明け渡してしまっていた・・・」、つまり「想念に乗っ取られていた」なんてことにもなりかねない。
そうなると(自己意識としてのあなたが明晰ならば、真なる自己の目覚めが途絶えることはないが)、その目覚めの進展の過程を妨げしまうこととなる。
だから、あなたがそれなりに成熟するまでは、1日数十分の瞑想で良いから、その間、目を瞑って、ただ淡々と想念を観察していなさい。
慣れてくれば日常生活を送りながらでも、同時に行うこともできるようになる。
想念の本拠地がある海の中に自ら潜(もぐ)っていくのだ。
奴らが、どんな動きをしているのか?
奴らの癖や特徴は?
奴らは、あなたに何をけしかけてくるのか?
奴らが、あなたにどのような賄賂(わいろ)を贈ってくるのか?
・・・
どんな情報でもいい。
あなたは「想念に関するの論文」を書き上げる研究者のようなつもりで冷徹に観察するのだ。
たとえ想念に巻き込まれてしまっても、あなたが巻き込まれているということにきちんと気づいていれば、それでいい。
最初は敵からの猛反撃にも合うだろう。
しかし、われわれ人間もバカではない。
その、かわし方をも学んでいくことだろう。
そして、観察瞑想が終わったら自分に対して答えなさい。
「奴ら(想念)の言いなりに従いながら生きていて、私は本当に幸せになれるのだろうか?」
と・・・
そして、あなたの内なる世界において、今は主人の如く振る舞っている奴ら(想念)と、しばらく決別する決意をしなさい。
さようなら・・・
いつの日か、必ず私が主人(自己意識)となって帰ってくる。
と・・・
「主人公」とは、禅から生まれた言葉である。
そうして想念を手下に従えたあなた(自己意識)は、やがて聖なるものと出会って、それと一つになることにより本当の主人公となる。
すなわち、真なる自己となる。
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